2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧
1200羅漢が有名で、嵯峨野めぐりの始発点そして終着点になっている「愛宕念仏寺」、古来より火伏せの神様として信仰を集めている愛宕山参道の麓にあった天台宗延暦寺派に属する寺院で、称徳天皇の開基により愛宕寺として建立されたのが始まりとされています…
三千院参道の奥にある勝林院にひっそり寄り添うように佇む「宝泉院」、1012年に勝林院住職の住む僧房として創建されます。勝林院は天台宗の仏教が栄えた大原の中心的道場という歴史的な大寺院ですが、宝泉院は、禅宗寺院に例えるなら勝林院の方丈にあたるの…
妙心寺は多くの塔頭寺院を持ちますが一般拝観ができるお寺はほんのわずかです。本山も広大な境内はいつも散策自由ですが、法堂と浴室以外の拝観が許可されていません。ここからは修行の世界みたいに他を厳しく廃絶するようなそんな雰囲気があります。そんな…
1346年、臨済宗大徳寺の徹翁義亨の隠居所「復古堂」がはじまりで、その後、衰微したこの寺は1694年に加賀国大乗寺の卍山道白により再興されて曹洞宗に改宗されます。有名な伏見桃山城の遺構、「血天井」は、血にまみれた床を天井として奉納されているもので…
臨済宗東福寺派の大本山、京都五山第4位にあり、山門は五山の中で最も古く国宝に指定されています。山門北にある本堂の天井には堂本印象筆の巨大な龍の墨絵が描かれていて、扉は開きませんが入口からのぞくことができます。しかしのぞきこんだ真上ですからそ…
日本三大城のひとつ「大阪城(大坂城)」、豊臣秀吉が築いた難攻不落の城でしたが冬の陣、夏の陣で落城、徳川秀忠と家光の二代の将軍により豊臣時代をはるかにしのぐ壮大な城に再建されています。しかしたびたび落雷の被害に遭い、「豊臣の怨念」とか「太閤…
檀林寺を出て、一路愛宕街道を進み「化野念仏寺」へ。多くの写真で石像を見ますが決して心休まるものではありません。ありませんが京都を巡るにはここは欠かせない、ということで勇気をもって歩き出しました(はっきり言って苦手なのです)。この街道には「…
かつて藤原氏の氏寺として大和を支配していた南都七大寺のひとつです。藤原鎌足の夫人が鎌足の遺志を継いで山城に建てた「山階寺」がそのはじまりで、後に飛鳥に移されて「厩坂寺」と改め、710年の平城遷都とともに鎌足の子・不比等によって現在の地に移され…
近世城郭の代表的な遺構、江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守のひとつで中堀以内のほとんどの城域が国の特別史跡に大天守、小天守、渡檜等8棟が国宝に、74棟の各種建造物が重要文化財に指定されています。1993年にはユネスコの世界文化遺産に登録…
泉涌寺の総門で拝観料を支払い、すぐに右手に折れて進むと「雲龍院」があります。また拝観料を払います。「ええっ?」と思いましたが、拝観を終えた時の満足感は格別でした。南北朝時代、北朝の後光厳天皇の勅願により、竹巌聖皐を開山として1372年に創建さ…
泉涌寺大門からなだらかな坂を下って仏殿、舎利殿を横に見ながら正面にある「御座所」に着きます。1882年の火災で、霊明殿、庫裡・書院が焼失。そこで明治天皇の命により、1884年の霊明殿の再建とともに京都御所にあった皇后宮の御殿を移築した建物というこ…
天皇家とゆかりある御寺、真言宗泉涌寺派「泉涌寺」、東福寺から歩いて20分足らずで到着です。月輪山麓の大きな寺院、東福寺の賑わいとは別世界、ここまで足を伸ばさないのかなぁ、楊貴妃観音像、御座所庭園、雲龍院と見どころが多いのに・・・ 空いていること…
5月の洛北巡りは、T師匠にご無理を願って効率よく有名な寺院を参拝できた訳ですが、今回職場で結成した古都クラブの旅行、このエリアを調べていていつか行ってみたいいくつかの寺院をリストアップしていた矢先でしたので誠に勝手極まりなかったのですが、ご…
京の夏の風物詩「京の七夕」、鴨川会場と堀川会場がありますが、「京友禅を育んだ地、堀川で竹と光によるアート」、天の川、友禅流しでこちらを選びました。東西線「二条城前駅」で下車、ここから上がって堀川遊歩道に到着。日も沈み夏祭りのイルミネーショ…
「千本ゑんま堂」の正式寺名は引接寺、高野山真言宗に属します。本堂には閻魔王坐像を本尊とし、脇侍を左に司命尊像、右に司録尊像を安置しています。開基した小野篁卿は、この世とあの世を行き来する神通力を持っていたとされ、昼は宮中に、夜は閻魔之廰に…
彦根城の外堀を渡って反時計回りに歩いてしばらくすると「玄宮園」の入口です。玄宮園は井伊家旧下屋敷の大名庭園で1677年に第4代藩主井伊直興によって造営されています。江戸時代初期の池泉回遊式庭園で、隣接する「楽々園」と併せて当時は「槻御殿」と呼ば…
家族の今回の旅行の目的のひとつにはクラブ・ハリエへ出かけてバームクーヘンを食べることでした。ずいぶん前、関東から夏休みに琵琶湖へ家族旅行で来たとき、近江八幡の「たねやさん」という老舗和菓子屋さんがおいしいバームクーヘンをつくった、って関東…
彦根駅から約15分歩いて「彦根城」へ、外堀を越えて二の丸佐和口門から入城です。往時の天守が現存する我が国12城のひとつで国宝にも指定されています。徳川四天王の一人、関ヶ原の戦いで活躍した井伊直政は幕府から敵将石田光成の居城「佐和山城」を与えら…
樹齢百数十年のキリシマツツジで有名な「長岡天満宮」、最近では紅葉でもよく知られています。祭神は菅原道真公ですから学問の神様として有名です。道真公が大宰府に左遷された時にこの地に立ち寄られ、名残を惜しみ、その時に腰かけた「見返り石」を因んで…
明治天皇伏見桃山陵は、豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地にあり、東側には昭憲皇太后の伏見桃山東陵が隣接しています。1912年9月13日、東京青山の帝國陸軍練兵場(現在の神宮外苑)にて大喪儀が執り行われ、翌14日に生前の遺言どおりこの地に埋葬されました…
山門からなだらかに上る石畳の参道、よくドラマに使われるという「粟生光明寺」、確かに本堂に向かうちょっと薄暗い参道は独特な雰囲気を感じます。前回モミジの若い時期に来たときは、交通の便が少し悪いこともあって境内は閑散としていたことが記憶にあり…
近江孤蓬庵から米原市の「清龍寺徳源院」へ、本日最後のお寺です。春の枝垂れ桜、秋の紅葉ともに有名です。12月半ば、そんなものはありませんがでもせっかくここまで来ていますので行き着いてみようということでたどり着きました…がやはり残念ながら拝観時間…
高月観音堂からほどなくして渡岸寺へ到着、国宝の十一面観音像を拝観、こちらは残念ながら撮影禁止、でも正面からだけではなく左右両面、そして背面から、しかもかなりの至近距離から見せていただけます」。高月の「観音の里」を代表する観音像です。国宝に…
観音正寺が創建されたときに合わせて開かれた坊舎のうち唯一現存する「教林坊」、天台宗の寺院です。縁起書によると推古13年(605年)聖徳太子により創建、寺名の「教林」とは太子が林の中で教えを説かれたことに由来し、境内には「太子の説法岩」と呼…
蒲生郡安土町にある西国第32番札所「観音正寺」、聖徳太子が開基となる歴史ある寺院です。繖山(きぬがさやま)の山中にあり、麓からの参道は西国33所の中でも一番の難所とされています。戦国時代に近江の守護職にあった佐々木六角氏が観音寺城をつくり…
東近江市にある天台宗の寺院「石塔寺」、山号は阿育王山、紀元前のインドのアショーカ王の関わりが伝承になっています。もちろんこの地は聖徳太子にも深い繋がりがありこの寺院も例外ではないようです。参道の石段を上った境内に広がる光景は無数の石塔と石…
こぼしたインクが空に滲むようなひと時、円山公園の枝垂れ桜、明日は荒れるということで大津の桜を楽しみながら18時過ぎに円山公園に到着、一歩も動かず1時間空が藍色になるまで待ちました。周りはお花見で大混雑、いつものことですが三脚立てている人、暗く…
米原から北上、長浜市の高月には渡岸寺の国宝十一面観音像をはじめ多くの観音堂があり、古来神聖な場所として崇められたといいます。毎年8月の第一日曜日には「高月観音祭」が開催されて全国から多くの仏像ファンで賑います。JR高月駅にある観光協会で拝観の…
京都の紅葉が終わり少し趣を変えようと職場の先輩に相談、ではということで長浜の渡岸寺(国宝の十一面観音像)拝観をメインに庭の綺麗なお寺も入れてコースを組んでいただきました。庭園は12月半ばにもなって色づくものがなく少し寂しい感じもしますがせっ…
東近江市にある「永源寺」。近江鉄道「八日市駅」から車で30分ほど、公共交通機関で行くと少し不便なところにあり、その分豊かな自然に包まれ紅葉の名所としても有名です。南北朝の時代に佐々木六角氏頼公が寂室元光禅師に帰依し、領内の土地を寄進し伽藍…